紫式部の実名は・・  『 源氏物語ゆかり(~No9)』
「源氏物語」の作者・紫式部の本名は、考古学者・角田文衛博士によれば権記(藤原行成の日記)や御堂関白記(藤原道長の日記)を勘案して藤原香子(たかこ)と推定される。事実のほどは別としてこの方が堅苦しい女官の呼び名よりも庶民的で親しめそうだ。盧山寺(紫式部の邸宅址、執筆の地)には次のような解説がある。
Updated Date : 2024-03-17 12:32:58
Author ✎ 京都再発見
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「紫式部」は、越後守・藤原為時の娘で、名は香子と言ったらしい。生年は天延3(973)年頃、没年は長元4(1031)年頃と推定される。 夫、藤原宜孝の卒後、中宮・彰子に仕え、中古三十六歌仙の一人とされ「源氏物語」のほか紫式部日記、紫式部集といった作品がある。 紫式部には物語作家、歌人、宮廷女房などの顔があるが、その凄さを感じるのは源氏物語の作品の中で最も重要な和歌795首が人物ごとに作りわけられていることである。 ここで二つの「百人一首」に選ばれた紫式部自作の和歌を二首(新古今和歌集)とりあげてみる。 "めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな”(小倉百人一首) “曇なく千年にすめる水の面にやどれる月の影ものどけし” (平成新選百人一首)
二千円札(裏側)のデザインに採用されている。
人物の左は光源氏の子(冷泉院)と光源氏、右下が紫式部。
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紫式部の顔
紫式部には物語作家、歌人、宮廷女房などの顔がある。 参考までに、2千円紙幣の最近のオークションを見ると平均値は約2万8千円で推移している。
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蘆山寺
35.024550950000005
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