舞妓さん撮影会でお世話になった京町家「川崎家住宅(紫織庵)」が解体の危機!
舞妓さん撮影会でお世話になった京町家「川崎家住宅(紫織庵)」(京都市指定文化財)が、解体の危機にある。
今こそ、京都ファーストで、貴重な文化財を残せないものか!
Updated Date : 2022-09-07 09:31:58
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川崎家住宅(紫織庵):京都市指定文化財
町家「川崎家」解体、京都市が異例の警告「看過できない」 : 京都新聞
祇園祭で山鉾が建つ京都市中心部にあり、解体・移築の計画が浮上している市指定文化財の京町家「川崎家住宅」(中京区新町通三条下ル)を巡り、京都市は1日、市の許可なく解体・移築しないよう所有者に警告を発した。「(文化財の)価値を滅失することがあれば、法的にも道義的にも看過できない深刻な事態」になると指摘。市指定文化財所有者への警告は、過去に例がないという。
警告文は川崎家住宅について、洛中にある大規模な京町家で、祇園祭山鉾町の景観を構成する重要な要素として、「建物は地域と一体をなして継承されるべきもの」と強調。解体・移築は制度的に可能としても、市文化財保護条例に基づく手続きが不可欠で、市への届け出と許可がない現状では条例違反になると警告している。
市は1日の記者会見で、「文化財は元来の場所で守って活用するのが大前提だ。移築はやむを得ない場合の手段で、それも市内での移築先の明示や価値を損ねない形の工事など、確実に建物を現状維持できる事業計画がないと認められない。条例違反の行為があれば、京都府警に告発する」としている。
川崎家住宅は大正末期の室町の豪商、井上利助が建てた。洋間も備えた表塀付きの町家で、近代日本を代表する建築家の武田五一が設計に関わったとされる。戦後、市内で呉服製造卸を営む川崎家が購入、近年は和装などを紹介する施設「紫織庵」として活用していた。
昨年に東京都内の業者が土地と建物を購入し、1月29日、市に解体する意向を伝えていた。
この問題では、明倫学区自治連合会や祇園祭の八幡山保存会など地元関係者が、文化財の建物がなくなり、跡地が宿泊施設などになることを懸念し、現地保存を求める要望書を市に提出していた。
京都市が所有者送付した警告文は「川崎家住宅を取得した時点で建物が京都市指定有形文化財であることは周知の事実であり、あなたはその保存・継承の義務を負うことについて認識されているはず。条例の定めに従わず、その価値を滅失することがあれば、法的にも道義的にも看過することができない深刻な事態となり、世界から注目されることが予想されます。万が一にも条例に反する行為がなされないよう、ここに強く警告する」などとしている。
地元関係者は「町家は元来の立地や地域と一体で存在するからこそ、文化財的な価値がある。その価値を守ってゆくため、市は文化財保護条例の『公共のために適切に保存する』との趣旨にある通り、移築を認めず、現地での保存活用に向けた適切な措置を講じてほしい」と話している。
【写真キャプション】
移築の計画が浮上している川崎家住宅。山鉾町の景観にも関わるだけに、地元関係者が懸念をしている(京都市中京区)
重文町家に解体・移築計画 京都市が業者に警告
京都市指定有形文化財の京町家「川崎家住宅」(中京区新町通三条下ル)が東京の不動産業者に土地ごと売却され、建物を解体・移築する計画が持ち上がっていることが1日分かった。付近は祇園祭で山鉾(やまほこ)が建ち並ぶ「山鉾町」として知られ、洛中の景観形成に重要な建物であることから、明倫自治連合会など地元関係者は移築を許可しないよう求める要望書を市に提出していた。市は同日、業者に対し文化財の保存・継承の責務を果たすことを強く求めるとともに、門川大作市長名で「(市文化財保護)条例に違反する行為が行われないよう強く警告する」という文書を発送した。
京都の紫織庵(旧川崎家住宅) | レトロな建物を訪ねて
元々は江戸時代後期に荻野元凱がこの地で開業していた医院。大正15年、豪商・四代目井上利助氏が元凱時代をそのままに、最新のライト様式のモダンな洋間を加えて新築し、昭和40年から平成9年まで川崎家が使用していました。
和室部分を上坂浅次郎、洋館部分は武田五一が設計参与しました。京都の伝統的な「大塀造」建築の代表例といわれています。木造2階建て。
京都の紫織庵
旧・川崎家住宅
1926(大正15)年
設計 : 武田五一(洋館)、上坂浅次郎(和館)
施工 : 上坂浅次郎
京都の舞妓『ふく乃さん』写真集~2017年12月18日 - OpenMatome
2017年12月18日に「柴織庵」で『舞妓さん撮影会』を開催しました。参加の皆さんからオープンデータとしてご提供いただいた作品の写真集です。ふく乃さん自身も写真をチェックされ公開の同意をいただいています。ふく乃さんが選ぶ「ふく乃賞」が決定しました。
川崎家住宅
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同志社大学 致遠館
京都の近代建築解体相次ぐ 不動産開発あおりで文化財の消失加速 : 京都新聞
明治時代から戦前までに造られた「近代建築」を巡り、国の登録有形文化財になった建物を京都市内で登録抹消し、解体するケースが出始めている。近代建築の宝庫とされる京都では不動産開発が相次ぐ。明治・大正期の建物を巡り、老朽化や維持改修負担を理由に、建物解体を検討するのは、学校法人同志社(京都市上京区)にとどまらず、消失の流れが加速しつつある。
京都市が2005、06年にまとめた調査報告書によると、市内の近代建築は1749件を数える。横浜市や神戸市をしのぎ、「数から言っても他都市に比べて突出して多い」。震災や第2次世界大戦の被害も少なく、戦後も大規模な再開発はなかったため、学校や公共建築に限られず、商業ビル、住宅、商店など、明治から大正、戦前までの各年代の多種多様な建物がそろっているという。
うち、将来の指定文化財候補ともなる登録有形文化財は、18年11月時点で過去最高の425件に達する。だが、17年9月、「平楽寺書店」店舗(中京区)が文化財登録を市内で初めて抹消されたのをはじめ、若林佛具店(下京区)、同志社フレンドピースハウス(上京区)の少なくとも3件の解体が明らかになっている。「ほかにも相談に来ている案件がある」(市文化財保護課)といい、近代建築の消失は加速しそうだ。
登録有形文化財制度の限界を指摘する声もある。
近代建築が社会的な評価を受けることなく消失するのを防ぐ制度のため、国宝や重要文化財といった「指定文化財」が厳しい規制と手厚い保護を行うのに対し、緩やかな措置を講じる。建物の外観を保てば内部を自由に使える一方、維持修復の補助は限られ、所有者は届け出によって登録を抹消し、建物を解体できる。市内で相次ぐホテルやマンション計画に伴い建て替えが浮上しても、行政は「『なんとか残せませんか』とお願いすることしかできない」(府内の文化財行政担当職員)。
京都工芸繊維大の笠原一人助教は「現在の文化財保護制度では、近代建築の解体に歯止めを掛けられない。国は文化財活用を旗振りする以上、登録有形文化財に関する相続税猶予などの税制優遇も講じてほしい。自治体の役割も大きく、地域で保存活用を図る人材の育成や解体1年前までの事前届け出を義務化した京都市の京町家条例のような歯止め策を検討してほしい」と危機感を募らせる。
■同志社「赤レンガへ思い強いが」苦渋決断
所有者側は、老朽化や耐震への不安、維持や改修に掛かる費用負担の重さに悩まされているという。
同志社が改築を計画している同志社大今出川キャンパス(上京区)の大正期のレンガ建物「致遠館」。同志社は「赤レンガ建物への思い入れはどこよりも強い」と、外観を残した耐震改修を当初検討した。
学生の利用は少ない大学事務棟のため、改修を後回しにしてきたが、手狭な上、床やロッカーが傾き、これ以上放置できないと判断。だが、レンガに穴を開けてワイヤを通す工法はレンガが割れる危険があり、資金面に限りもあるという。「建物はヴォーリズ建築のデザインを極力保って建て替え、館名も変えない」と理解を求める。
近代建築は築100年以上を経たものが増え、古代や中近世の建物とともに、京の景観をなす。ただ、その所有者は同志社のような大規模な組織だけでなく、中小規模の学校や企業、個人も多く、維持管理の悩みに直面しているという。同志社の関係者はいう。
「同志社の規模であっても、建物の維持管理や費用に四苦八苦している。平成がまもなく終わり明治が遠のく中、老朽化や耐震性の悩みはますます深刻になってゆく。解体を含めた難しい判断を迫られる所有者も増えるだろう」
同志社大学 致遠館とは
1916年3月に教室として竣工した建物で、W.M.ヴォーリーズの設計と言われています。館名は、徳富蘇峰が、諸葛孔明の言葉「寧静に非ずんば以って遠きを到むるなし」から命名しました。
建物の入口には、蘇峰による扁額が掲げられています。現在は、総務部や財務部等の事務棟となっています。
https://www.doshisha.ac.jp/information/facility/buildings/imadegawa.html
致遠館
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同志社フレンドピースハウス
国登録文化財を同志社が解体撤去 洋館「フレンドピース」 : 京都新聞
学校法人同志社(京都市上京区)が、創設期の明治時代に建てられた国登録有形文化財「フレンドピースハウス」(同)を解体撤去したことが19日までに分かった。木造洋館の好例と評価されていたが、法人が運営する幼稚園の移転新築計画に伴い取り壊された。同志社大今出川キャンパス(同)では、大正時代のヴォーリズ建築「致遠館」の建て替えも浮上。同キャンパスは京都近代化を象徴する校舎群で名高く、法人も積極的に保存活用していただけに波紋を広げそうだ。
フレンドピースハウスは、同志社創設期のレンガ校舎造りに関わったD・C・グリーンが設計、1887年ごろ完成した。木造2階建ての瓦ぶきで、洋風のベランダなどを備え、建築面積約250平方メートル。2006年に「洋風意匠を基調とした住宅」の好例として国登録有形文化財になったが、老朽化が著しく16年3月で使用をやめていた。
同志社は17年10月、老朽化した同志社幼稚園(上京区)をフレンドピースハウス敷地に移転新築することを決めた。一定の広さがあり、緑の多い京都御苑東隣という立地を選定理由に挙げる。当初はフレンドピースハウスの移築を検討、建物を調査したところ、部材の3分の2が傷みで再利用できないことが判明。関連経費が数億円に及ぶとも試算されたため断念し、18年11月末までに解体した。
同大学の事務棟「致遠館」も全面的に建て替える方針だ。大正期のレンガが耐久性から補強工事に難があり、耐震改修では対応できないと判断したという。
明治の事実上の東京遷都に伴い、京都御所周辺の公家町や武家屋敷は空き地となる。この跡地に先駆けて建てられた同志社の校舎などの建物群は、京都近代化の象徴とされる。
同志社は「洋館の移築やレンガ建物の外観保存を目指して詳細に検討したが、技術や資金の面で限界があった。洋館の照明や欄間などの一部は保管し、建物の写真や図面などの詳細を記録として残す。重要文化財など残りの近代建築はこれまで同様に保存活用を続ける」としている。
【写真キャプション】
幼稚園の移転新築に向けて取り壊されたフレンドピースハウスの跡地(京都市上京区)
同志社フレンドピースハウスとは
京都御所東隣に建設された宣教医ジョン・C・ベリーの自邸で,現在は会議室等に用いている。木造2階建,桟瓦葺,外壁を下見板張とし,北面に切妻造の玄関を設け,南面から西面には1,2階とも開放的なヴェランダを廻す。洋風意匠を基調とした住宅の好事例。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/190010
同志社フレンドピースハウス
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川井家住宅
最古級京町家消失「京都市に失望」元所有者自ら選んだ解体の道 : 京都新聞
京都市内で最古級とされる町家「川井家住宅」が8月末、解体された。京町家保全継承条例を受け、市は具体策の柱として掲げるマッチング制度の活用で建物の保存活用を目指したが、早くもつまずいた。町家を持つ業者や元所有者は、支援の乏しさを強調。解体を事前に察知するための規制も対象範囲が一部に限られており、「かえって駆け込み的な解体が増えている」と指摘する声も上がっている。
■京都市、公金支出に応じず
市は、条例で町家を解体する場合は1年前までに所有者が市に届け出ることを今年5月から義務付けた。義務化と同時期に運用を始めたマッチング制度を組み合わせ、保全を図る構えだ。マッチングでは、市に登録した不動産や建築などの団体が、所有者らに利用希望者や活用案を紹介し、売却や賃貸を促す。条例の義務化前に開発計画が動き出した川井家住宅は適用外だったが、貴重さを鑑みてマッチングを試行し解体を防ごうとした。
業者側は市との協議に応じ、建物解体を遅らせた。「条件次第で別業者への売却も検討した」という。市の仲介で10社ほどが関心を示したものの、現地見学に来たのは、わずか数社だった。住宅のほか宿泊施設への転用を検討したとみられるが、転売は成立しなかった。そこで当初のマンション計画との両立に向け、マンション玄関部などにして残し、現地保存する代わりに市の高さ規制を緩和したり、市による移築を求めたりしたが、市は高さ規制の特例緩和や未指定文化財への公金支出は難しいとして、応じなかった。
業者は「文化財に指定されていない点を確認し、一般家屋と同様の私有財産として購入した。工期を遅らせて協議したが、その間の税金や金利負担が軽減されることもなく、市への提案も断られた。これ以上の対応は難しかった」とする。
■「京都市に失望」自らの代で始末を
元所有者の代理人によると、市は景観面などから街の公共財として保存を求める一方、所有者が建物維持費や税負担などの軽減を訴えても私有財産として自助努力を促された。文化財指定して公開保存する方法はあるが、元自宅に多くの人に踏み込まれることには抵抗感があった。
代理人は「所有者側は、地域の歴史や文化と家を切り離し、とにかく建物だけを残すという市の町家保存活用の考え方にも疑問があった。所有者の悩みや思いを共有する姿勢を感じなかったことへの失望も大きい」と述べ、自らの代で始末する道を選んだという。
一方、NPO法人「京町家再生研究会」(中京区)の小島富佐江理事長は、解体の事前届け出規制が進まない点を問題視する。規制対象とするには市の指定が要件だが、市内にある約4万軒のうち、指定による「網掛け」を行ったのは約500軒にとどまる。川井家住宅のような未指定物件では罰則のない努力義務しかかからない。
市内では、町家が観光活性化や不動産投資を理由に解体され、宿泊施設になる動きが加速している。「一部業者は『未指定のうちに処分した方がいい』と触れ回っている」(小島理事長)といい、規制の網掛けが整わないために、条例が解体を促す誘い水となっていると指摘する。
小島理事長は「市が支えとなり、全町家を守ろうとの趣旨で条例が施行されたはず。いったん全ての町家に規制をかけるのが筋で、網掛けを早急に広げるべきだ。近年の町家解体はバブル期を超える規模やスピードで行われている。一時緊急買い取りなど踏み込んだ手だても打たないと、取り返しがつかなくなる」と危機感をあらわにしている。
【写真キャプション】
京都市内最古級とされた川井家住宅。市がマッチング制度などを通じて解体を防ごうとしたが実現しなかった(京都市中京区)
京都市最古級の町家が解体消失 室町起源、保全強化も奏功せず : 京都新聞
室町時代にまで起源をさかのぼれ、専門家が重要文化財級と評価していた京都市内最古級の町家「川井家住宅」(中京区西ノ京)が解体され、消失したことが26日までに分かった。市は京町家保全継承条例を昨年に施行し、マッチング制度などを今年5月から導入して町家解体を防ぐ施策を強化してきたにも関わらず、貴重な町家の消失を止められなかった。
川井家は上京区の北野天満宮に仕えた「西京神人(にしのきょうじにん)」の子孫とされ、中世の文書にも名前が出てくる。同家住宅は木造平屋建てで、洛西から丹波に多い農家型住宅の特徴を持ち、応仁元(1467)年に建てられたとの伝承があった。
京町家に詳しい京都府立大の大場修教授や町家関連の調査によると、正徳年間(1711~16年)に造り替えられた後、文政13(1830)年に増築されるなど、江戸時代に大改造されたという。今夏に解体されるまで残っていた建物は応仁元年の建築ではないとみられるが、室町時代にまでさかのぼる部材や工法を内部にとどめていたとされる。
京都市内に約4万軒ある町家は、京都で相次いだ大火や戦乱で焼失したため、江戸期の建物も総数の2%ほどしかないとされ、明治期以降が多い。大場教授は「圧倒的な建物の古さをはじめとして、重文指定に足る建物だった」とみる。
不動産開発会社が土地や建物を川井家関係者から買い取ったのは今年3月。その後、建物解体とマンション建設計画を知った市が仲介に入った。業者側は、町家解体を防ぐ目的で市が導入したマッチング制度を通して、保存活用に取り組む別業者への土地建物の転売を検討したり、市に建物の移築を持ちかけたりしたが、価格などの条件面で折り合わず、不調に終わった。8月末に建物は解体され、古い部材は民間団体が引き取った。同家が継承してきた中近世の資料群は京都府立京都学・歴彩館(左京区)に寄贈される方向だ。
業者は「市の要請に応じ、工期を半年ほど遅らせて話し合いをしてきたが、ビジネス交渉で折り合わず、市への提案も受け入れられなかった。解体は不本意だが、これ以上は難しかった」とする。
市は「条例に基づいて町家の保全活用に向けて別の引き取り手への売却を促すなど、市としてできる限りの協議と対応をしてきた。結果が出なくて残念だ」としている。
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更地になった川井家住宅跡。市が保存活用に向けてマッチングを行ったが、不成立に終わった(京都市中京区)
川井家住宅とは
京都市中に残る最古の町家は何処か。
川井家住宅(京都市中京区下立売神屋川)は最古級の町家と呼ぶにふさわしい(写真1)。当家は妙心寺道に沿って建ち、幕末までは京都の近郊集落に属する家屋である。応仁元年(1467)に建てられたという伝えを残し、以来焼けたことがないという(前掲『京都府の民家』第六冊)。とすれば日本でも有数の中世民家ということになる。実際は、部材の一部は頗(すこぶ)る古いものの、「正徳年中建立再造替」と記された棟札から、正徳年間(1711~16)の大改造でほとんど造り替えられたことがわかる。さらに文政13年(1830)には座敷棟が増築されている(棟札「文政十三戌寅三月上棟」より)。
しかし、残された柱や梁は確かに中世にさかのぼる古さである。しかも構造形式からは当初は茅葺きで、しかも妻入(つまいり)屋根であったろうと報告書は指摘する。この形式は洛西から丹波の山間部に広く分布する「摂丹型」という妻入の農家住宅の形式と類似する。この町家は、元々は京都近郊の街道集落に建つ農家型住宅であったと見るのが妥当であろう。
いずれにせよ、この町家は中世の古材を残す点で貴重であるばかりか、改造の時期でさえ江戸中期であり、京都の町家の中で破格に古いのである。
近世後期、京都市中は二度の大火を被った。天明8年(1788)の通称「団栗焼け」と、元治元年(1864)の「どんと焼け」である。そのために近世の町家は市中には少ないと考えられている。しかし、西陣はこれらの大火を免れた地域である。
【写真キャプション】
川井家住宅(伝、応仁元年<1467> 築、正徳年間<1711~16> 改造、文政13年<1830> 座敷増築、中京区下立売神屋川)
川井家住宅
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文化財保護に関する税制優遇措置、補助金について
相続税
住居として利用されている文化財建造物を相続した場合の評価額の算出方法。
1.文化財建造物ではないとして、財産評価する
2.文化財建造物の種類に応じて定める次の割合を乗じる
「重要文化財」 ………… 0.7
「登録有形文化財」 …… 0.3
「伝統的建造物」 ……… 0.3
修理等事業費国庫補助
4.補助対象経費
(1)保存修理に係る設計監理事業
補助対象となる経費は,保存修理工事,設備設置及び改修工事に係る設計監理に要する経費とし,明細
は別紙のとおりとする。
なお,修理工事(災害復旧工事を除く)については,総事業費から修理が完了する翌年から5ヶ年にお
ける収入増加見込額の合計額を除いた額を補助対象経費とする。
①主たる事業費
設計料及び監理料 ア.直接人件費
イ.経費(直接経費, 間接経費)
ウ.技術料
エ.特別経費
②その他の経費
事務経費
(2)公開活用事業
①主たる事業費
ア 保存活用策定経費
イ 建築工事経費、設備工事費、環境整備費
ウ 解説整備事業経費
エ 設計料及び監理料等
②その他経費
事務費
5.補助金の額
補助率は,次に掲げる場合を除き補助対象経費の50%とする。
登録有形文化財建造物修理等事業費国庫補助要項
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