義仲寺と身余堂(西の詩仙堂と呼ばれた建物)~『保田輿重郎の邸宅』
大津市にある義仲寺(ぎちゅうじ)は木曾義仲と芭蕉の墓所で有名な国指定の史跡である。驚いたのは境内奥にある保田與重郎の墓との出会いだった。とっさに日本浪漫派の巨人・保田與重郎が京都時代に住んだ鳴滝の邸宅「身余堂」が脳裏に閃いた。河井寛次郎、棟方志功など名だたる文人も訪れたという屋敷なのだが(~続く
Updated Date : 2021-11-30 20:16:30
Author ✎ 京都再発見
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一般にはあまり知られていない。「身余堂」(しんよどう)は右京区鳴滝の文徳天皇陵を望む地にあり、庭に佐藤春夫の歌碑などもある。その佐藤春夫が東の詩仙堂と並べて賞賛、川端康成は詩仙堂よりも素晴らしいと絶賛したしたという伝説の建物である。保田與重郎(やすだよじゅうろう)は東大美学科を卒業し亀井勝一郎らと日本浪漫派を創刊。自己の志を曲げなかった気骨のある評論家。「身余堂」は自ら信ずる日本を一身に背負うという気概の伝わるネーミングである。文徳天皇陵の遠景を中心にしたワイドな眺望は抜群で、文人たちの評価のポイントになったと思う。なお「義仲寺」の案内図には「身余堂文庫」の所在が記載されているだけでお墓の説明もない。寺へのヒヤリングで保田輿重郎が義仲寺の再建に尽力した人物であることが確認できた。
身余堂の表門
本覚寺の薬医門を移築したものという。 「住所」右京区太秦三尾町1−80
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身余堂の書斎と庭の歌碑
左は書斎、右は庭の佐藤春夫の歌碑 “夜もすがらむつまじきこと菊まくら”
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文徳天皇陵
参道から写したもので、山手の身余堂からの絶景の写真が見つからず、ご紹介できないのが残念である。
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義仲寺の山門
当寺は実に見どころの多い寺院である。
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義仲寺の保田輿重郎の墓
境内の奥まった場所にある。
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義仲寺の「身余堂文庫」
山門を入った左側にある。
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身余堂
35.0253027
135.7007673
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0
0
17
35.0253027,135.7007673,0,0,0

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義仲寺
35.002939999999995
135.880101641664
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35.002939999999995,135.880101641664,0,0,0
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