新村出博士(国語辞典「広辞苑」の編纂者)ゆかりの地など
国語辞典『広辞苑』の編纂者として知られる言語学者・新村出(しんむら・いづる)は,大正12(1923)年,京都市のこの地に移転し逝去されるまで学究生活をされ、『広辞苑』の編纂もここで行われた。現在は新村出記念財団本部となっている。なお移転時に木戸孝允(桂小五郎)邸の一部が移築されている。
Updated Date : 2021-09-23 14:54:19
Author ✎ 京都再発見
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新村出博士
(写真はNHKアーカイブより)
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新村出博士旧宅
「場所」北区小山中溝町 新村博士は中京区土手町丸太町下ルの木戸孝允(桂小五郎)邸に一時期、住まわれたことがあり、木戸邸の改築の際に、その一部が新村邸に移築されている。
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新村出博士の歌碑(上御霊神社の境内)
上御霊のみやしろに詣でてよめる 「千早振 神のめぐみ深くして 八十ぢに満つる 幸を得にけり」
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応仁の乱の発端 御霊合戦の旧跡(上御霊神社の境内)
上御霊神社と言えば「応仁の乱勃発の地」で有名だが近年、境内に新しい記念碑が建造された。 石碑の刻字は応仁の乱の東軍総大将・細川勝元の子孫にあたる「細川護煕」(元首相)によるもの。
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石碑の裏の「寄進者の御芳名」
歴史書「応仁の乱」の著者・呉座勇一氏をはじめ筆者の知人・友人数名の名前も記されている。私もささやかながら一役買わして頂きました。
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上御霊神社
35.0364705
135.7614010604309
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35.0364705,135.7614010604309,0,0,0

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新村出博士旧宅
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