悲劇のヒーロー源義経ゆかりの地 「牛若丸の誕生地など」
京都・南座の「三月花形歌舞伎」は演目が「義経千本桜」である。久方ぶりに牛若丸誕生の地を訪ねて驚いたのは荒れ放題だった周辺が整備されて見違えるほど綺麗になっていたことだ。幼年期に天狗から剣術を学んだ義経は一の谷の合戦「鵯越えの逆落とし」で一躍名をあげヒーローとなったが、波乱万丈の生涯を悲劇で閉じた。
Updated Date : 2021-03-04 19:25:44
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牛若丸の誕生井
左は牛若丸誕生井の石碑、右奥に見えるのは牛若丸の胞衣塚(えなずか)。
これまでは雑草が生い茂り荒れ果てた畑だった。
「注」2021年3月花形歌舞伎「義経千本桜」の公演は3月6日~3月21日 於・南座
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牛若丸の胞衣塚(えなずか)
石碑の裏には応永二年(1395年)と銘記され、説明では京都で最古の石碑とある。なお現在は畑の中に佇む形だが、明治のころまでは小社で信仰の対象となっていたようだ。また近くのお寺には常磐御前が安産を祈願した常磐腹帯地蔵が祀られている。
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静御前(時代祭の中世婦人列から)
「静御前」は源義経の愛妾で悲劇の女性として有名。平安末期から女人の舞装束として用いられた水干を着けた白拍子姿で行列に登場している。
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常盤御前(時代祭の平安時代婦人列から)
「常磐御前」は源義朝の側室。義朝が平治の乱で戦死の後、子供たちの助命を清盛に乞うため、「牛若」を懐に今若・乙若を連れて雪の中を六波羅に向かう外出姿である。
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もう一つの牛若丸の誕生井の石碑
近くにある別の石碑で、牛若丸が産湯に使った井戸跡だったという。牛若丸(義経の幼名)ゆかりのスポットは枚挙にいとまがないが、「牛若」の町名とバス停もある。
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北区紫竹牛若町
35.04767066882277
135.74488917365673
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17
35.04767066882277,135.74488917365673,0,0,0
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