初めての舞妓さん体験記 京都、花街、夢物語 - 舞妓倶楽部
ライター、(有)ジェイ・アトール代表 佐塚 潤子(さづか じゅんこ)さんの、「舞妓さんと過ごす京都のいち日」体験記です。
Updated Date : 2017-08-04 16:35:42
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日本には、現実と夢の世界を自由に行き来できる場所がある。
そこへはじめて足を踏み入れたのは2012年1月22日、冷気が極まり最も寒さがつのる季節だ。私にはその冷気が霊気となり、自分の周囲を漂っているように感じられた。
この日のことを生涯忘れることはないと思う
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佐塚 潤子(さづか じゅんこ)
ライター、ジェイ・アトール代表。早稲田大学卒業後、出版者勤務を経て「Number」(文藝春秋)特派記者。
その後独立してライターに。1999年、雑誌広告などの制作を手がける(有)ジェイ・アトールを設立。
2010年からWEBの世界へ活動範囲を広げ、紙媒体とWEBを融合したPR、広報、マーケティングなどを行っている。現在は、日本の社長を支援するプロジェクト「プレジデントジャパン」を準備中
思いがけないご指名
私は原田翔太、和佐大輔というネット業界の若き俊英ふたりが主催するクラブに所属しており、そのクラブの先輩が舞妓倶楽部代表の祐本(すけもと)光男さんだ。
祐本さんの特別なツテで、クラブの課外活動として企画されたのが『舞妓さんと過ごす京都のいち日』。
昼は舞妓さんと京都競馬場で競馬を観戦し、夜はお茶屋さんで遊ぶという斬新な内容だ。それに合わせ、クラブのセミナーも京都で行われることになった。
旅立ちの日は朝からあいにくの天候だった。京都駅へ着くころには小雨が降ったり止んだりの状態で、古都の風景はうす暗く、私の目には懐かしいモノクロ写真のように映った。
この日は午後1時からクラブのセミナーで、『舞妓さんと過ごす京都のいち日』は翌日の予定だ。朝一番の新幹線に乗ったので、セミナーの開始までにはまだ数時間ある。まずはこの日の宿である京都駅八条口前の新都ホテルに荷物を預け、近くにある東寺を訪ねたり、『はしたて』で京風雑煮をいただいたり、時間が許す限り京都観光を楽しんだ。
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午後からのセミナーは、いつもながらのエネルギーで夜まで集中して行われた。
その後はクラブ恒例の懇親会。会場は五花街(ごかがい)のひとつである宮川町の料理屋さんだ。
そこでおおいに呑み、語り、一同はそのまま人気の京ラーメン店『第一旭』へ流れたのだが、夜11時近いというのに行列ができている。その行列に並んでいると、祐本さんから突然こう言われた。
「明日なんですが、私は京都競馬場へ先乗りして指定席を確保しなくてはならないので、代わりに佐塚さんにふたりの舞妓さんを迎えに行ってもらいたいんです。ホテルに車を回しますから」
思いがけないご指命に、私の心は踊った。代役のプレッシャーより、京都競馬場までの道すがら、舞妓さんを独り占めできるという喜びの方が大きかったからだ。
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舞妓さんのお迎え
翌朝は時間通り、迎えの車がホテルの玄関先に到着した。ここから舞妓さんが待つ上七軒のお茶屋さんまでは約20分の道のりだ。
京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町という5つの花街があり、総称して五花街と呼ばれる。
一般的には祇園が有名だが、地元では上七軒が格上とされ、観光化されていないので、五花街の中では最も敷居が高いそうだ。
しかし、車中の私にその知識はまだなく、運転手さんの観光ガイドを聞きながら、車窓の景色をのんきに眺めていた。ところが、上七軒に到着した瞬間から、そんな物見遊山のモードは切り替えざるを得なくなった。
車1台がやっと通れるほどの細い道に沿って立ち並ぶ10軒のお茶屋さんは、どれも黒塀の似たような店構え。これでは事前に地図で調べていた運転手さんにも、目指す『梅乃』が見つけられない
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「もう約束の時間だし、お茶屋さんに直接電話していいものかどうか、どうしたら……」
と困惑顔で私を振り返る。京都競馬場に到着するまで、すべて運転手さん任せでOKと勝手に思い込んでいた私は、この状況にいたって、仕切るのは自分だとはじめて気づいた。そこで、車を降り、歩きながら目指すお茶屋さんを探し始めたのだが、数十メートル先の道半ばで、ようやく『梅乃』と小さく書かれた表札を発見した。
今思い返せば、この時とこの場所が、現実から夢の世界への分かれ道だったと思う。
京都の花街については、映画『SAYURI』や数冊の本からの知識はあったものの、「一見(いちげん)さんお断り」という敷居の高いお茶屋さんへ、ひとりで、しかもはじめて乗り込むのはさすがに緊張する。
しかし、ここは覚悟を決めるしかない。私はひとつ深呼吸して『梅乃』の呼び鈴を押した。
しばらくすると、舞妓見習いさんと思われる少女が格子戸を引いて顔を出す。続いてお茶屋さんのおかあさんが出て来られたので、ちょっと緊張しながら丁寧に挨拶した。そして、いよいよふたりの舞妓さんが姿を見せると、周囲の空気が一気に華やいだ。このときはすでに夢の世界へはまり込み、現実の緊張感などは吹き飛んでしまっていた。
「よろしゅうおたの申します」と愛らしい笑顔を浮かべ、最初に出てきた舞妓さんに車へ乗るよう促すと、後ろを振り返って「お姐さんが……」と言う。
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舞妓さんの世界では、少しでも先輩なら「お姐さん」と呼び、厳しい上下関係が求められる。
それゆえ妹分の舞妓さんは、お姐さんより先に車に乗り込んでいいのかと気づかったのだろう。
姐と妹は、半襟やかんざしの派手さ加減で見分けられるのだが、私にはまだその知識がなかったために、妹分の舞妓さんは先に車へ乗り込むしかなかった。お客さんに従うことが、何よりも優先されるからだ。
このときのことは今でも鮮明に思い浮かぶ。花街で遊ぶお客さんには、それなりの知識やマナーが求められるのだから「一見さんお断り」という習わしも当然なのだと納得した瞬間でもあった。
姐と妹の関係を見分けて、お姐さんをたててあげられなかった私は、お客さん修行ができていなかったのだ。
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「だいたい若い妓の方が、お姐さん連よりも、きらびやかな装いをいたします。着物の仕立てが派手ですし、帯も長くなっていますね。一人前の姐さんの帯は、いわゆるお太鼓の結び方で、きりっと締まった箱形の感じがします。そう長い帯でなくても結べます。
でも、二十くらいまでの若い妓は、もっと華やかに結びまして、とくに舞妓でしたら、これぞ豪華絢爛というところで、だらりの帯であります。」
『さゆり』アーサー・ゴールデン著(文春文庫)
舞妓さんとはじめての競馬場へ
そんな無粋な場面はあったものの、ふたりの舞妓さんを乗せて車は無事出発。
ここから京都競馬場までは約50分の道のりだ。
助手席に移動した私が、後ろを振り返って自己紹介すると、「梅やえどす」「梅ちほどす」と言って源氏名が書かれた千社札を差し出す。
車中の狭い空間でふたりの舞妓さんを独占し、夢見心地の私は「伏見稲荷大社に行きたかったのに、時間がなくて行けなかったの。
『SAYURI』って映画で舞妓見習いさんの女の子が願掛けに行った神社よ」 などと勝手におしゃべりをはじめた。すると、お姐さんの梅やえさんが
「私、伏見稲荷はんへは行ったことがないのどすえ」
と言い、妹の梅ちほさんは
「私はお客はんに連れていってもらって、千本鳥居の途中までは行ったことありますえ」
と言う。その上ふたりとも、聞いたことはあるが映画『SAYURI』は観たことがないという。それを聞いた私は、舞妓さんなら京都に詳しいはず、という自分の思い違いに気づき、軽いジャブをくらったような気分になった。つまり、舞妓さんというのは、お客さんが連れて行ってくれなければ何処へも行くことができないのだ。
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これは後で知ったのだが、舞妓さんのお休みは月に2日だけ。
その休日も着物を着て上七軒周辺を散歩したりする程度で、映画を観に行ったりショッピングしたりすることはほとんどない。
そのほかの日は、芸事のお稽古やお座敷に出る支度があり、妹分なら山のような雑用もある。
そして当然、聞くまでもなかったのだが、「競馬場へ行くのははじめてどすなぁ」とふたりに言われたのだ。
「芸者になる仕込みが厳しいのは、芸を覚えなければいけないばかりか、とにかく忙しい暮らしであるということでしょうね。お昼前はみっちりお稽古がありまして、午後と夜には、従前と同様の働きをしないといけません。寝られるのは三時間から五時間がやっとでしょう。」
『さゆり』アーサー・ゴールデン著(文春文庫)
私も京都競馬場ははじめてだったが、舞妓さんに付いて行けばいいや、ぐらいに思っていた。
何とも鈍なことであったが、ここでまたしても、仕切るのは自分だと気づかされることに……。
そうなると競馬場に着いてからの段取りが必要だ。急いで祐本さんの携帯に電話すると、指定席エリアから出られないので、競馬場の入場口から指定席の入口まで舞妓さんを連れてきてほしいと言う。
競馬場という花街とは対極にあるような俗世界の中で、ふたりの舞妓さんをガードできるのかと一瞬不安がよぎったが、夢見心地の私には、もう恐いものなしだ。
競馬場に到着すると、「あの階段を上ったところが指定席の入口です」と運転手さんに教えられたとおり、ふたりの舞妓さんを誘導しながらその階段をゆっくり上った。
そこで周囲を見回したが、珍しそうにこちらにカメラを向ける人が数人いるだけで、指定席の入口らしきところはない。
舞妓さんたちも不安気な表情で私を見つめる。さすがにあせって、この夢もここで終わりかと思ったとき、遠くで手を振る祐本さんを見つけた。
ここまでが私のはじめての舞妓さんお迎え体験記。その役を何とか果たすことができたものの、頼りない代役であった。それでも何とか祐本さんと合流できてちょっとほっとした私は、ここからは夢の世界を存分に楽しむことにした。
競馬場にあでやかな花が咲く
競馬場には、すでに先発の男性陣が到着していたので、お姐さんの梅やえさんを彼らに託し、私は妹の梅ちほさんと一緒に少し離れたボックス席に陣取った。
幸いなことに、その席に競馬のプロとおぼしきクラブの関係者がいたので、投票用紙の書き方などを教えてもらい、まずは一番簡単な単勝の馬券を買ってみることにした。
梅ちほさんも、強そうな馬の名前を探したり、予想新聞の印を見たりしながら一生懸命予想してくれる。
頭をかしげて考えるたびにかんざしの飾りが揺れる。
「それじゃあ、梅ちほさんの予想を信じるわよ」と言って私が馬券を買ってくると、彼女はうれしそうに「おねえはん、おおきに」と言う。
なんと可愛らしいことか。このまま夢の世界にのめり込み、現実に戻れなくなったとしても不思議はないと思った。古今の花柳小説や映画など思い浮かべれば、そういう話はいくらでもある。
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そのうちに、遅れてやって来たクラブのメンバーたちも加わり、舞妓さんを囲んでの競馬観戦はおおいに盛り上がる。
みなで一緒に外の観覧席へ移動したり、ビールを買いに行ったり、梅ちほさんを連れて歩けば私たちは注目の的だ。殺風景な競馬場に、あでやかな花が咲いたようだった。
メインレースが終わって、第1部の競馬観戦は無事終了。いよいよ第2部の会場である上七軒の『梅乃』へ移動することになったところで、離れた席にいた梅やえさんたちとも合流。
そのとき、彼女の表情がちょっと硬いような気がして、私は急に心配になった。今回の参加者中、女性は私ひとり。
それなのに、一度も梅やえさんの様子を見に行ってあげなかった。初めての競馬場で若い男性たちに囲まれて、戸惑ったかもしれないのに。私はまたしても鈍な自分を痛感した。
お座敷遊びを堪能
反省しきりで『梅乃』に向かった私だが、到着するなり、夢の世界の陶酔感が、そんな気がかりを打ち消してしまった。
お座敷では、ほかの舞妓さんや芸妓さんたちも勢揃いで、私たちの間を行き来しながらお酌をしたり、一緒に写真を撮ったりして楽しませてくれる。彼女たちが音もなく移動する姿は、まるで蝶が舞っているように見える。
私は、この席で初めて芸妓さんと接したのだが、その色香には脱帽のひと言しかない。
芸妓さんは舞妓さんよりも地味な装いだが、それだけに大人の雰囲気が漂う。所作や話術も巧みで、私も随分と笑わせてもらった。
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「しっかり芸を身につけても、それだけではお座敷をしくじることになるでしょう。つまり立居振舞というものがあります。
だからこそ、お師匠さん方が礼儀や所作についてやかましいわけで、用足しに行くつもりで廊下を小走りに急いでも叱られるのです。たとえば三味線の授業であっても、言葉遣いについて咎められることがあります。在所の訛りが出てもいけません。だらけた姿勢になっても、のそのそ歩いても叱られます。
何で一番きつく叱られるかといいますと、楽器が下手だとか歌詞を覚えないとかではなくて、爪に垢がたまっている、生意気な態度をとる、といったようなことでしょう。」
『さゆり』アーサー・ゴールデン著(文春文庫)
ここで私は、梅ちほさんの姿がないのに気がついた。
ちょっと気になったが、お座敷ではじまった他の舞妓さんたちの舞いに見とれて、すぐに忘れてしまった。
そのあとは『とらとら』というお座敷遊びに興じ、夢の世界も最高潮に達したのだが、このときはすでに予定の時間を大幅に過ぎていた。
東京行きの新幹線の最終は9時34分発なのに、時計を見るとすでに9時だったのだ。
夜の京都を裸足で疾走
大慌てでタクシーを呼んでもらい、クラブのメンバーたちと京都駅へ向かったのだが、駅に乗り付けても間に合うかどうかというのに、私はホテルに荷物を預けていた。
仕方なく私だけホテルの前でタクシーを降り、ハイヒールを脱ぎ捨てて夜の京都を疾走した。
そのままホテルのロビーに駆け込んで、怯えるクローク係から荷物を受け取り、駅へ走り、改札を抜けてホームへ駆け上がった。
そこではじめて、裸足の私に向けられる周囲からの奇異な目に気づいたのだが、ここが、夢から現実の世界へもどる分かれ道だった。
結局、最終の新幹線には間に合ったのだが、東京へ向かう車中でずっと気になっていたのは、最後までお座敷に姿を見せなかった梅ちほさんのことだ。
お迎えのときの車の乗り方や、競馬場でビールを飲んではしゃいでしまったことが原因で叱られたのではないかと心配でたまらなくなった。
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現実世界には、そんな気がかりを打ち消す特効薬はないので、それを解消するには、再び夢の世界を訪ねるしかない。
そのためには、京都の花街で散財できるほどのビジネスの成功や、粋なお客さんになるための経験も必要だろう。
これからは、それを現実世界での目標にしたいと思う。夢と現実を自由に行き来できる場所があっても、そこへ行くための自由は、自らの力で得なければならないのだ。
そして最後に、『舞妓さんと過ごす京都のいち日』を共有体験してくださったクラブ主催者の原田翔太さん、和佐大輔さん、クラブメンバーのみなさん、私に舞妓さんのお迎え役をまかせるという粋なはからいをしてくださった祐本さんに、心から感謝いたします。
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