八坂の塔に手が届きそうな旧竹内栖鳳邸(東山艸堂)「THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO」
手が届きそうな距離に八坂の塔を望む。 1,700坪の庭園が広がるこの場所は、かつて日本画壇の巨匠竹内栖鳳の私邸「東山艸堂」(ひがしやまそうどう)。 建築された1929年(昭和4年)当時の感性がそのままのこる、竹内栖鳳がアトリエとして最も多くの時間を過ごした特別な空間。
Updated Date : 2019-11-02 09:22:09
Author ✎ Kyoto Culture
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旧竹内栖鳳邸(東山艸堂)「THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO」
竹内 栖鳳
竹内栖鳳 - Wikipedia
竹内 栖鳳(たけうち せいほう、1864年12月20日(元治元年11月22日) - 1942年(昭和17年)8月23日)は、戦前の日本画家。
生家「亀政」時代(誕生~明治20年ころ) 御池「耕漁荘」時代 (明治20年~昭和4年) 嵯峨「霞中庵」時代(明治45年~) 高台寺「霞中山房(東山艸堂)」時代 (昭和4年~) 湯河原「山桃庵」時代(昭和9年~昭和17年) by 竹内栖鳳とは(2) http://www.kyotodeasobo.com/art/artist/seihou/takeuchi-seihou2.html#.WnGIFahl_ZQ
竹内栖鳳の霞中山房時代 昭和四年~
高台寺「霞中山房(東山艸堂)」時代 (昭和4年~) 快適で開放的な嵯峨「霞中庵」は多くの招待客を招き入れたが、あまりに景色が良いために栖鳳は画を描く気にならなかった。 そこで、高台寺に全面スリガラスの窓にして下界を遮断したもうひとつの別荘を造ることにした。 しかしいざ建設となると栖鳳の意図と設計側がうまくかみ合わず、なかなか思うようにはかどらなかった。 そしてようやく昭和4年、「耕漁荘」と「霞中庵」を折衷したような屋敷、つまり生活空間と別荘空間を折衷した新邸を建てたのである。1300坪の敷地に175坪の建物であった。 この屋敷の庭は泉水はなかったものの、見事な枝垂桜(人丸桜)と藤棚があり、訪問客が驚くに十分なものであった。聞くところによると、この桜は門弟の金島桂華の庭にあったものを、たまたま知らずに栖鳳が所望したことがきっかけらしい。

旧竹内栖鳳邸「THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO」へのアクセス
「東山安井」にて下車、 徒歩3分。 阪急電車:「河原町駅」2番出口から13分 京阪電車:「祇園四条駅」6番出口から10分 JR:「京都駅」から車・市バスで15分
34.99903541529501
135.7797771692276
269.55794155722606
2.142650334943781
0
18
34.99903541529501,135.7797771692276,269.55794155722606,2.142650334943781,0
「八坂の塔」(法観寺)
「八坂の塔」(法観寺) - Wikipedia 伝承によれば五重塔は592年に聖徳太子が如意輪観音の夢告により創建。 平安京遷都以前から存在した古い寺院。創建時の伽藍は四天王寺式伽藍配置または法隆寺式伽藍配置だったと考えられている。 境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないことから、「八坂の塔」は寺自体を指す通称ともなっている。 永享12年(1440年)の再建。 高さ49m
重要文化財
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