大阪ぶらり歴史歩き(~その3) 『中之島から北新地を巡る』
大阪市北区の中之島は、堂島川と土佐堀川に挟まれた東西約3㎞の中州(堆積地)で江戸時代から商人の街として発展してきた。レトロなビルや美術館、公園など静かな雰囲気は散策に相応しいエリアである。北新地にかけて十数か所を巡った中から主要なものをピックアップしてみた。
Updated Date : 2023-04-14 12:18:56
Author ✎ 京都再発見
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日本銀行大阪支店旧館と駅逓司(えきていし)大阪郵便役所跡
わが国最初の郵便制度が設けられたのは、明治4年(1871)のこと。ここに今日の中央郵便局にあたる郵便役所がおかれた。また後方にある建物・日本銀行大阪支店旧館はベルギー国立銀行をモデルに建設されたという辰野金吾の設計でレンガと石造りの本格的洋風建築(事前申し込みで内部見学も可能)。
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大阪市中央公会堂
赤レンガが映える当公会堂は、ネオ・ルネッサンス様式の建築で、大阪城天守閣とともに大阪市のシンボルでもある。竣工は大正7(1918)年、株式仲買人・岩本栄之助の寄付によるもの。地下1階のレストランは良い雰囲気で名物の牛肉煮込みのオムライスを食した。
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鉾流橋(ほこながしばし)・・大阪天満宮の鉾流斎場
大阪市役所や中央公会堂などが立ち並ぶ中心部にかかっている橋で、天神祭の船渡御にかかわりを持つ。7月24日天神祭宵宮の早朝に、ここで鉾流神事が行われる。天満警察署の前に立つ鳥居の場所が神鉾を流す浜で、この橋の名が「鉾流橋」である(写真の右側参照)。
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曽根崎川跡碑
碑文を拡大して読むとよくわかる。
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堂島米市場(どうじまこめいちば)跡碑
江戸時代の初め、各地から運ばれた米の取引は、土佐堀川沿いの北浜の路上で行われていた。この「北浜米市」は、中心となっていたのが当時の豪商淀屋であったため「淀屋の米市」とも称された。その後、米市は堂島に移されることになった。
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しじみ橋跡の石碑
かつて大江橋の上流で堂島川から分流し、堂島と曽根崎へ弧を描きながら流れ、再び堂島川に合流する川があった。これが曽根崎川で、蜆川とも呼ばれた。元禄初期、河村瑞賢(かわむらずいけん)により改修され、曽根崎新地や堂島新地がひらかれた。その後、埋めたてられ大正13年にはすべて姿を消した。川には蜆(しじみ)橋、曽根崎橋、桜橋などが架かっていた。近松の名作「心中天網島(てんのあみじま)」の道行き「名残りの橋づくし」によみ込まれ有名だった。 「注」「しじみ橋跡」の石碑は北新地の一角にあるが、碑文は旧仮名遣いに変体仮名文字も使用されており読みづらい。 「場所」JR東西線北新地駅 11-43出口から、およそ300m 徒歩5分
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堂島薬師堂
推古天皇の時代からこの地に あり、「堂 島 」の 名前 の由来にもなったという由緒ある薬師堂。平成11年(1999)に三角形の反射ガラスを組み合わてキラキラ光るお堂に生まれ変わった。月2度の法要と節分お水汲み祭りのときは、奈良・薬師寺の僧侶がお経を唱える。 「場所」堂島1丁目6の20
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浄祐(じょうゆう)寺
日蓮宗寺院。当寺には赤穂浪士・矢頭長助(やとうちょうすけ)、右衛門七(えもしち)父子の墓と、五大力(ごだいりき)墓がある。 「場所」北区堂島三丁目3-5. オオサカシティバス「出入橋」下車 南約100m.
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北区中之島~北新地
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