日本海沿岸にある最大の海の巨大古墳『神明山古墳』
京都府京丹後市丹後町にある4世紀後半の前方後円墳で墳丘長は190メートル。
日本海沿岸にある最大の巨大な海の古墳。
丹後王国の最盛期の頃につくられた。
国の史跡。
巨大な前方後円墳に歩いて登れるよ!
Updated Date : 2016-10-31 21:07:12
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海の古墳「神明山古墳」とは
神明山古墳と畿内の古墳との比較
神明山古墳
・古墳時代前期後半(4世紀後半)
・墳丘長の比較
190m vs 津堂城山古墳(古市古墳群)は208m
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神明山古墳 - Wikipedia
古墳時代前期後半(4世紀後半)の前方後円墳で墳丘長190メートル。
丹後半島を貫く竹野川の河口付近に位置する、日本海側最大級の古墳である。
国の史跡に指定。
海の古墳:4世紀後半以降、日本海沿岸の港のほとりに大規模な前方後円墳が出現している。
葺き石と丹後型円筒埴輪列をもつ三段築成。
丹後一帯を支配した豪族の墓と推測されている。
出土品は、近隣にある「丹後古代の里資料館」に展示されている。
http://www.city.kyotango.lg.jp/museum/kodainosato/
海の古墳
潟湖のほとりにあり、港との関係で大規模な前方後円墳が出現した。
潟湖(せきこ):湾口に発達した砂州によって外海と切り離されてできた湖。
神明山経塚出土 銅鏡
この銅鏡は、神明山経塚(しんめいやまきょうづか)から出土したもので、背面の文様から「藤山吹双鳥鏡」(ふじやまぶきそうちょうきょう)「網代垣山吹双鳥鏡」(あじろがきやまぶきそうちょうきょう)と呼ばれる。
鏡の表面には、毛彫(けぼり)の仏像が表されているが、鏡は本来神のよりしろとされるものであり、それに仏像を刻むのは、明らかに神仏習合思想(しんぶつしゅうごうしそう)に基づくものである。
また、こうした傾向は、やがて懸仏(かけぼとけ)へと発展するものである。
京丹後市指定文化財
丹後の潟湖と古墳 細川康晴(京都府埋蔵文化財調査研究センター)
歩いて登れる「神明山古墳」へ
国道から見た古墳
民家の裏の小高い森が神明山古墳である。
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神明山古墳から立岩を臨む
海岸沿いには
間人皇后(はしうどこうごう)・聖徳太子母子像
後ヶ浜(のちがはま)海岸に、やさしげに幼い太子に寄り添う皇后の像が、日本海を見つめて佇んでいる。
神明山古墳への道
竹野(たかの)神社から山道を15分ほど歩くと古墳はあった。
墳丘長は190メートル、
古代の海岸線と平行に築造されていて、葺石を貼っているから海上から眺めると白色に輝いてよく目立ち、港の位置を示す標識にもなったらしい。
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古墳の上に立つ。
巨大な前方後円墳に登ったのは初めて!
普通、大きな古墳は宮内庁管轄なので入ることすらできない。
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神明山古墳へのアクセス
35.73499999999999
135.11098236507723
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14
35.73499999999999,135.11098236507723,0,0,0
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