日本の名城 南から北へ~島原城・熊本城・小倉城・姫路城・大阪城・名古屋城・犬山城
敵に攻め込まれた際の防御拠点として設けられた建築物。
主要な城は指揮官の住居であり、政治や情報の拠点であった。
純防衛用として山地に建築されることも多いが、街道や河川などの交通の要衝を抑え利用することも多い。
Updated Date : 2022-04-28 10:33:18
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熊本城
別名『銀杏城(ぎんなんじょう)』という
熊本城 - Wikipedia
築城年 1469年–1487年頃
国の重要文化財:
「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられている
明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、平成の大修理が完成したばかりである。
「銀杏城」という名の由来は、城内に植えられた銀杏(いちょう)の木である。
これは、篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に加藤清正がこの銀杏を植えたと言われている。
築城の名手と言われた加藤清正が手掛け、細川のお殿様が代々移住されたお城。
2016年熊本大震災後の熊本城
2016年4月の熊本地震の為に被害を受ける
2016年4月の熊本地震の為に
石垣・櫓・天守閣に甚大な被害を受け、現在閉鎖されている。
復旧の目処は未だ立っていない。
32.805523422789506
130.7073166966984
32.805523422789506,130.7073166966984
島原城
別名「森岳城」や「高来城」という
島原城 - Wikipedia
長崎県指定史跡
築城年 寛永元年(1624年)
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。
成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。
火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、
関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。
有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。
城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。
本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。
橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、
しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも言える。
島原城 - Wikipedia
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小倉城
別名『勝山城、指月城』という
小倉城 - Wikipedia
小倉城は勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名がある。
概要 小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。
小倉城
築城年 天正15年(1587年)
築城主 毛利勝信
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小倉城 - Wikipedia
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国宝姫路城
別名『白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)』という
姫路城
国特別史跡
ユネスコ世界遺産
築城年 1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)
江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている。
また、ユネスコの世界遺産リストにも登録されている。
「姫路」の名の由来
播磨国風土記に出てくる「日女道丘」からきています。
神代の昔、大汝命(おおなむちのみこと)は、その子火明命(ほあかりのみこと)があまりに乱暴者なので、海へ出た際、捨ててしまおうと島に置き去りにして船出。ところが、船が出てゆくのに気づいた火明命は大変怒り、風波を起こして船を難破させてしまいました。
その時、船や積み荷などが流れ着いた場所に「船丘」「犬丘」「筥(はこ)丘」「琴丘」など14丘の名が付けられましたが、その一つ、蚕子(ひめこ)の流れ着いたところが「日女道丘(ひめじおか)」で、現在姫路城のある「姫山」であるとされています。「蚕子」は古語で「ひめじ」といいました。
地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、
池田輝政が姫路城を築き、城下町を整備した当時の文献に見られます。
姫路市|姫路城の歴史
大坂城
別名『金城』あるいは『錦城』という
大坂城 - Wikipedia
築城年 1583年(天正11年)
慶長19年の大坂冬の陣で、大坂城は徳川家康に
よって構成された大軍に攻められ、篭城戦を行った。
そして、その講和に際して惣構・三の丸・二の丸の破却が取り決められ、
大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。
秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、
冬の陣から4か月後の1615年(慶長20年)、
大坂夏の陣で大坂城はついに落城し、
豊臣氏は滅亡した。
追手門
国の重要文化財に指定
石垣石は瀬戸内海の島々(小豆島・犬島・北木島など)や
兵庫県の六甲山系(遺跡名:徳川大坂城東六甲採石場)の石切丁場から採石された花崗岩である。
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名古屋城
別名『金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)』『金城(きんじょう)』という
別名 金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城
城郭構造 梯郭式平城
築城主 徳川家康
築城年 慶長14年(1609年)
主な城主 尾張徳川家
名古屋城
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136.89861417165957
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犬山城
別名『白帝城』という
城郭構造 平山城
築城主 織田広近
築城年 1469年
所在地:愛知県犬山市
現在は天守のみが現存し、天守が国宝指定された5城のうちの一つである
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犬山城天守
犬山城の天守は外観3重、内部は4階、地下に踊場を含む2階が付く。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、望楼型天守である。
内部階段の急こう配には驚かされた!
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岐阜城
岐阜城 - Wikipedia
築城年 1201年(建仁元年)
指定文化財 国指定の史跡
岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にあった山城跡。
織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、
新たに造営したものが岐阜城である。
岐阜城 - Wikipedia
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