妙覚寺:大門は聚楽第の遺構と伝えられる安土桃山時代の建築(京都府指定有形文化財)
本堂や大門は、京都府指定有形文化財。
この大門は、安土桃山時代の建築。
豊臣秀吉が天正18年(1590)に建てた聚楽第の裏門であったものを、寛文3年(1663)当地に移建したものとされている。
西本願寺飛雲閣、大徳寺方丈、唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構です。
Updated Date : 2019-11-02 09:23:22
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妙覚寺へのアクセス
〒602-0007
京都市上京区 下清蔵口町135
京都市営バス:「堀川寺ノ内バス停」から徒歩
9系統:二条城・京都駅から
12系統:四条河原町・三条京阪から
時刻表
https://www2.city.kyoto.lg.jp/kotsu/busdia/hyperdia/menu177.htm
35.036533899364905
135.75363289563484
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14
35.036533899364905,135.75363289563484,0,0,0
妙覚寺 (京都市) - Wikipedia
日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は具足山。
開山:日実
開基:小野妙覚
1378年(永和4年)日実によって創建され、四条大宮に妙覚寺を建立した。
1483年(文明15年)には足利義尚の命により、二条衣棚に移転した。
1536年(天文5年)の天文法華の乱際に寺は焼失し、堺に避難した。
1548年(天文17年)後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、妙覚寺は二条衣棚の旧地に再建された。
1582年(天正10年)の本能寺の変の際、織田信長の嫡男織田信忠は妙覚寺を宿舎としていた。
1583年(天正11年)、豊臣秀吉の命により、現在の地に移転。
1788年(天明8年)、天明の大火により焼失するが、その後再建された。
●妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺はいずれも山号を具足山と称し、「龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)」と呼ばれている。
●文化財
・重要文化財(国指定)
盂蘭盆御書 日蓮筆
・京都府指定有形文化財
本堂
祖師堂
華芳塔堂
華芳宝塔
大門
木造日蓮坐像
妙覚寺大門(駒札)
妙覚寺は北竜華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具山および京都十六本山の一つである。
南北朝時代の永和4年(1378)、竜華院日実上人により、信徒で豪商の小野妙覚の四条大宮の邸に創建され、その後、二条衣棚(ころものだな)に移ったが、豊臣秀吉による都市改造の際に、この地に移建された。
一時は、本能寺とともに、織田信長の上洛時の宿所とされ、千利休による茶会も催された。
この大門は、寺伝によると、秀吉が天正18年(1590)に建てた聚楽第の裏門を、寛文3年(1663)に移建したものといわれており、西本願寺飛雲閣(ひうんかく)、大徳寺の方丈、唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構である。
城門特有の両潜(りょうくぐり)扉を持ち、梁の上には伏兵を配置できる空間が設けられている。
建築史上興味ある建物である。
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